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中谷産婦人科No.1 一章 運命⑱衝撃・・信じられない。

 夜の闇を背景に野本の姿が、悪魔めいて見えた。
 耐えきれなくなって私は泣き出しそうな気持で目を反らし、再びフォークを取ろうとすると、野本はそれを制止させるように、素早く、力強く私の手を握った。

 野本は余裕のあるゆっくりとした動作で私の手からフォークを奪い、ギュっとさらに強く握りしめた。

 その掌のうちに秘められた熱が私の内部にまで浸透し、躰の芯が火照ってくるのを感じた。

 野本は口元に謎めいた微笑を浮かべている。

 その薄い唇がわずかに動いたかと思うと、こんな囁き声が漏れた。

 「本当だよ。君は実にいい娘だね。君が卒業したら僕のお嫁さんに来てもらいたいくらいだ・・。」
 「先生・・!」

 驚きと戸惑いと感動の入り混じったような想いで私は夢中で野本を見つめ返した。
 思いもかけない言葉にひどく困惑させられながらも、そこに甘いときめきを感じずにはいられなかった。
 しかし野本は依然と変わらず両のこぶしで頬杖をつき、惑わすような微笑を浮かべている。

 こぶしに隠された片方の眼はますます見えなくなった。
 そして依然と変わらずもう片方の射るような眼は黒々としていた。
 あまりに黒々しすぎていて本音が見えない。
 その瞳は私の知らない未知の輝きを帯びていた。
 ああ、わからない、わからない!
 堰を切ったかのように激情が物狂おしくこみ上げてくるのが感じられる。

 この人に・・めちゃめちゃにされたい・・
 私は男のその瞳の奥にある禁断の世界に早くも魅了され酔いしれているのだった。



 しかしその日を最後に私はもう二度と野本から誘われることはなかった。
 八景島にドライブに出かけた日から数日の間は、変わらず愛情のこもった眼差しを私に向けてくれていた。

 それがある日突然、まったく私の方を見向きもしなくなったのだった。

 初めのうちはそれほど気にしていなかった。
 しかしあまりに何日も何日もこちらに視線を向けようとしないので「一体どうしたというのだろう?」と次第に不安が忍び寄ってくるようになった。
 ある授業中に何気なく野本の視線を追っていると、それが一人の女生徒の頭上で静止したことに気が付いた。

 その表情はひどく生真面目であり、瞳孔が一瞬大きく見開くのを私は見逃さなかった。

 その女生徒こそが、広瀬ミナミだったのである。

 「まさか、そんなことが・・?」
 嫌な予感がよぎったものの思い過ごしかもしれないとも思った。

 広瀬ミナミは平均的な雰囲気の少女で、私の目から見て最初それほど魅力的には映らなかった。
 しかし今時の女の子らしく愛嬌があり、仲間内ではおっちょこちょいなキャラとして親しまれている様子だった。 
 半面、いかにも女子らしいあざとさで、あまり親しくない少女には無関心を装いつんけんとぞんざいな態度を取った。
 それゆえに私は彼女に関わったことが殆どなかった。
 しかし私はこの日を境に彼女のことをかなり意識するようになった。

 嫌な予感は的中した。
 それ以後、私は野本とミナミがさり気なくアイコンタクトを交わしている光景を何度も目撃するようになった。
 激しい衝撃に襲われた。そんなことがあっていいはずがない!
 しかし、四十人いる教室の中で、教師とミナミが二人きりの世界観に浸っている瞬間を私は何度も捉えた。
 教師はミナミに微笑のこもった眼差しを向ける。それに対しミナミも顔を赤らめながら幸福感に酔いしれている様子が伝わってくる。

 「許せない!信じたくない!」
 背後から山火事が迫ってくるような激しい焦燥感に襲われ、放課後、私は夢中になって駐車場に向かう野本を追った。

 しかし、その見慣れたベンツの黒い車の前に佇んでいるのはミナミだった。
 私はそれを見て、近くに寄っていくこともできない。

 「も‥もう終わりだ。」

 私は離れた位置から、愕然と、走り去っていく黒い車を見送った。

 
 リアガラスの炎のステッカーが瞳の奥で二重にぼやけた。



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